日本(にほん)の家族(かぞく)と性(せい)
■日本の「性1)sex」
10月29日に「性いっぱい展」についての記事2)articleを書きました。
性をタブーとして扱いがちな日本の風潮3)tendencyの中で、このような催し4)Eventは大変貴重5)valuableなものだと思います。
アダルトビデオや風俗店など日本の街角は性産業6)Sex industryで溢れています。地方都市を車で走れば沢山のラブホテルを目にします 。すべての人が持つ性的な要求7)demandに対して、社会は堂々と供給8)Supplyの姿を見せています。
しかし家庭9)homeでは「性を語る(表現する)こと」はほとんどされません(私もしません)。 家族や公衆の面前10)in publicで恋人と接触することは憚られます11)憚る、ためらう:hesitate。「私には性的な欲求はありません」という振る舞いをするのが、特に家庭内では暗黙の了解12)tacit understandingになっています。
性は「街中で公然13)overtlyと解放」されている一方で「家庭内ではタブー視」されているのが現状です。
■性の3重構造14)three‐layer structure
性は同一の生活圏内15)Living areaにあって相反した性質16)Conflicting propertiesを持っています。「性を語らない家族」は、この「公然だが話題にしてはいけない」呪縛17)curseの中に生きることを強いられます。日本社会の閉そく感18)息苦しさ、狭苦しさの一因にこの「性のねじれ」があるように思えてなりません。
家族は紛れもなく「性」によって生まれますが、家庭内では「性」は「無いもの」とされています。しかしその家族が暮らす社会では「性」は公然と「有るもの」とされている。
中心に「性」があり、その周りに「性の無視」があり、その周りにさらに「性」が公然とある。3重の入れ子構造の「ねじれ」の中に日本人は生きていることになります。
現実に「性は有る」のですから、ねじれの原因は2番目の円、家庭内における性のあり方にあると思います。
子供は中心の円(家族の起源19)origin)から生まれ、外側(家庭→社会)に向けて成長していきます。やがて結婚し、中心の円に自分の子供を授かります。そして自分の子供を2番目の円(家庭)の中で育てます。
私個人について言えば、特に親子関係において「性のタブー化」は深刻です。子供の時のみならず、大人になった今でも親と性的な話などとてもできません。家族が性にオープンになることを想像することすら難しいです。
意識的に行わなければ私も「性はタブー」な家庭を作ると思います(まだ未婚です)。しかし、悪循環20)Vicious circleを断ち切るためには、性を「普通のこと」として扱う家庭を作らなければなりません。
■すべての動物園21)Zoo、水族館22)Aquariumは「性いっぱい展」を開催せよ
3重構造のそれぞれは以下の「性」質に言い換えができます。
・社会=「快楽としての性」
・家庭=「タブー視された性」
・家族の起源=「繁殖行為23)Breedingとしての性」
「快楽24)pleasureとしての性」 と「繁殖行為としての性」の区別はあって良いと思いますが、互いの距離が遠すぎると、間にある「 タブー視された性 」の溝25)ditchはより深くなってしまいます。
溝を埋めるには 「家庭における性」の認識変換26)recognitive conversionが必要だと思いますが、サンシャイン水族館の行った「性いっぱい展」は、この上で大変 意義27)Significanceがある催しだと思います。
水族館や動物園は家族で利用する施設28)Facilitiesであり、生物についての教育機関29)educational institutionでもあります。
そのような施設が「人が求愛30)courtshipし生殖することは「タブー」ではなく「 あたりまえ 」」であることを示すことで、
家庭= 「タブー視された性」 →「あたりまえの性」
への認識変換が進むのではないかと期待をしています。
動物園や水族館 は「繁殖行為としての性」という変えがたい大義名分31)just causeを用い、どんどん「タブー」に踏み込んでもらいたいと思っています。
家族で「性いっぱい展」に出かけ、楽しむ。それが普通。
日本がそんな社会になることを願ってなりません。
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